郡上八幡小駄良地域の再奥部戒仏集落の戒仏薬師にて2020年2月11日(火)に粟倉まつりが開催されます。
本日2月8日と明日9日は祭りで配る粟餅の準備と薬師堂の清掃作業です。
餅づくりは戒仏集落の各家が毎年持ち回り音頭をとって進めていきます。主体は戒仏集落ですが、近隣の集落も協力して餅づくりをしています。
突き立ての粟餅の芳醇な香りに魅了され、おもわずつまみ食いしたくなる衝動にかられながらも必死に餅づくりをしました。
その数だいたい1,000個。それでも当日は足りなくなっちゃうから早いもの勝ちです。そしてぜひ薬師堂の維持に”志”もお願いいたします笑
ちなみにこの大きな木のくりぬきこね鉢はおそらく栃の木から作られたもので、「いつから使ってるかわからん」とのこと。こういう道具が自然と出てくるところもまた面白いんですよね。
当日は参拝者へ集落の方達が作った粟餅の配布と集落の寺院「浄願寺」の住職による読経が行われます。山奥のわずか7戸ほどの集落が毎年協力して継ないでいる地域の大切なお祭りです。
どなたでも参加できますので、普段はあまり通る機会のない小駄良の河鹿地区へ立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
白山を象ったといわれる、まんなかがポコっと膨らんだ、ちょっとだけ黄色い粟餅も美味しいですよ。
戒仏地区は郡上八幡の市街地から約10km、小駄良川沿いにまっすぐ北上した場所にあり標高は500〜650m程度と八幡町内ではかなりの奥地にあるところです。
戒仏薬師地図
https://goo.gl/maps/mXcBfPk34YS2
* * * ここから戒仏薬師の民話のお話 * * *
かつて白山信仰の街道であった小駄良街道にある戒仏薬師、現在の御堂は元禄年間(1688〜1703年)に建立されたともいわれ、地元の民話にはその起源は白山開山の祖、泰澄大師と書かれています。
実際お堂の中には天保のころに参拝した落書きがあったり、かなり古い頃の絵馬が飾られていたりします。
民話では耳を痛めた馬方の錠助という男が、毎日毎日お堂に通い、そのたびに丸石の中央に少しずつ穴をあけていき、丸石に完全に穴があいた時に錠助の耳がなおった、と伝えられています。
このことから戒仏薬師は病気平癒の信仰のなかでも、とりわけ耳の病気の回復を願って参拝される方が多かったとのこと。
そして大変興味深いことに、お堂には民話にある「穴のあいた丸石」がたくさん奉納されています。
万病に効くとされる戒仏薬師には峠を越えた旧明宝村寒水などの周辺の集落からも人が訪れるようになったとされ、そのうちに「このお薬師様にお参りすると良縁が結べるそうな」ともいわれるようになり、多くの男女が参るようになったともいわれています。
(実際に明宝村史にも記載があるとのこと)
その様は、郡上おどりの「かわさき」や「甚句」の歌詞にも取り入れられ、
「嫁をおくれよ戒仏薬師、小駄良三里にない嫁を」と歌われるようになりました。
また、餅に使われている粟は八幡市街地の「庄村米穀」さんが毎年ご提供してくれてなんとか成り立っているとのことです。
この祭礼についても大変詳しいそうで、今回の話題も庄村さんが雑穀研究会シンポジウムで発表された資料「7戸で伝える特殊神饌 戒仏薬師の粟倉様」を参考にさせていただきました、ありがとうございます。
参考資料
・「地域レポート 岐阜 郡上八幡 7戸で伝える特殊神饌 戒佛薬師の粟倉様」庄村敏 2007著 2019. 02. 11改定
・「歴史ロマン小駄良ロード」高橋教雄 監修、川合公民館編集委員会 編集 2002. 3. 31
・「開校百年記念出版 小駄良の民話」井上正道、森政治 編集・再話者 1974. 10. 21
* * * * *
現在の形で祭礼を行うようになったのはいつからか定かではないようですが、形を変えながらも多くの人によって繋がれている祭礼で、粟餅からみえるかつての農業や無病息災を願って奉納された耳石などを通じて昔の人たちの暮らしや精神性に触れられることは大変貴重な機会だと感じました。